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蔚州名所
朴堤上遺跡   い-ぜん つぎ
住所 (689-842) 蔚山 蔚州郡 斗東面 萬和里 サ・30-2
 
  沿革及び来由  
 
 
1. 鵄山書院址
ここは新羅時代の忠臣朴堤上(バクゼサン)と彼の夫人の祭祀を行なうために建てた祠堂跡地である。朴堤上は新羅の始祖朴赫居世の子孫である。 訥祗王(在位:417年~458年)が王になった後、王命によって高句麗と日本に人質として捕らわれた二人の王弟、卜好(ボクホ)と未斯欣(ミサフン)を救出するために、先に高句麗に行って卜好を救出した。それから日本に渡り、未斯欣を救出し帰国させたが、自分は捕らわれ厳しい拷問の末に焼殺された。 日本王は日本の臣下になれば多くの褒賞を与えるとなだめたが、朴堤上は新羅の臣下なので日本の臣下にはなれないといい、ついに心を翻さなか った。 一方、朴堤上の夫人は娘らを連れて鵄述嶺(チシュリョン)に登り、日本の方に向かって慟哭して死んだ。するとその体は石に変わて望夫石(マンブャN)になり、その魂は鳥になって飛んでいき、隠乙岩(ウンウルアム)に隠れたと伝えられる。 人々は朴堤上の夫人を鵄術神母と称し、祠堂を建てて祭事を行なったが、朝鮮王朝時代にこの場所に鵄山(チサン)書院が建てられたと言われる。
 
2. 望夫石
望夫石(マンブャN)とは、遠く離れた夫を恋い慕う夫人が夫を待ちくたびれて死に、石に変わったという伝説の岩である。このような伝説は所々あるが、いちばん代蕪Iなことが 朴堤上(バクゼサン)の夫人 が夫を恋い慕い慟哭して死に、岩に変わったという望夫石の伝説である。 朴堤上は新羅時代の訥祗王(在位:417年~458年)の時の有名な忠臣であった。訥祗王の命によって高句麗と日本に人質として捕らわれた二人の王弟、卜好(ボクホ) と未斯欣(ミサフン)を救出するために、先に高句麗に行って卜好を救出した。 それから日本に渡り、未斯欣を救出し帰国させたが、自分は捕らわれ厳しい拷問の末に焼殺された。日本王は日本の臣下になれば多くの褒賞を与えるとなだめたが、朴堤上は新羅の臣下なので日本の臣下にはなれないといい、ついに心を翻さなかった。 一方、朴堤上の夫人は娘らを連れてこちらの鵄述嶺(チシュリョン)に登り、日本の方に向かって慟哭して死んだ。するとその体は石に変わて望夫石(マンブャN)になったと伝えられる。
 
3. 隠乙岩
隠乙岩(オンウルアム)とは、鳥(乙)が隠れた岩であるという意味である。この岩には新羅時代の忠臣朴堤上(バクゼサン)と彼の夫人についての有名な伝説がある。 朴堤上は新羅時代の訥祗王(在位:417年~458年)の時の有名な忠臣であった。 訥祗王の命によって高句麗と日本に人質として捕らわれた二人の王弟、卜好(ボクホ)と未斯欣(ミサフン)を救出するために、先に高句麗に行って卜好を救出した。 それから日本に渡り、未斯欣を救出し帰国させたが、自分は捕らわれ厳しい拷問の末に焼殺された。日本王は日本の臣下になれば多くの褒賞を与えるとなだめたが、朴堤上は新羅の臣下なので日本の臣下にはなれないといい、ついに心を翻さなかった。 一方、朴堤上の夫人は娘らを連れてこちらの鵄述嶺(チシュリョン)に登り、日本の方に向かって慟哭して死んだ。するとその体は石に変わて望夫石になり、その魂は鳥になって飛んでいき、隠乙岩(ウンウルアム)に隠れたと伝えられる。